樺澤忠志が人生を変えた瞬間:納棺師から家族葬専門家への道 ? 弘前市の葬儀なら【とーたる・さぽーと0528】

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合同会社とーたる・さぽーと0528家族葬専門の葬儀社の樺澤(カバサワ)と申します。

今回は初めて世界に向けてブログを書こうと本気で思いました。

 

 

自己紹介とこれまでの経験

まずは、私の自己紹介をさせて頂きます。

それぞれの会社で生きるには自分にはなかったこと技術や能力と心がこの経験をともについてきました。人の為になる行為いつも考えるようになり今に至ります。

 

 人嫌いからの変化

簡単に説明いたしましたが、私は小さいころから30半ばまで人嫌い、人見知り、大人嫌いで人と本気で向かい合う行為が苦手。自己発言や意見、気持ちを表現できなかった自分でした。

 

生き方の変容と父の影響

樺澤忠志の父

父が亡くなってから生き方が変わりました。父の急死で人生とはなんであるか考えるようになりました。過去の話しになりますが、明るい家庭であったと思います。そのようにして父は私たち子供を守って来てくれた事に感謝しています。

しかし、父の死で色々守られていただけで自分の力で人生を切り開いて歩んでいなかったことに30代半ばになってから初めて築きました。

その頃は家の状況も悪かったし、姉との関りも非常に悪かった。「三界は唯心の所現」。

 

「三界は唯心の所現」とは、仏教の考え方で、世界は私たちの心で作られているということを言っています。つまり、私たちの考えや言葉が世界を形作るんだよ、ということです。

これは、自分の人生を生きていない自分の人生を本気で生きようと決意した日になりました。

 

修行と人生の正常化

自分の人生をまず正常化させるには我が心を正すことにしました。本山に修行の為に入山し、私の人生の修復に取り掛かり、その数年後、姉が私のところに来て直接謝って仲直りし、自分のあらゆる考え方であるマイナス思考を変えてプラス思考にして、チャレンジ精神が出て映画『おくりびと』指導した会社に入社し復元納棺師の資格と技能取得。これが私の人生初の本気です。

ここからが今の自分の仕事に反映していきます。

起業への道と現在の活動

人の為になる行為を自分で作り上げようと決めた。のが実家に戻って個人事業でとーたる・さぽーと0528を起業し今は法人化し合同会社とーたる・さぽーと0528として活動させて頂いています。

 

修行を終えてから最後の就職先復元納棺師は日々ハードで大変でしたが少し書き込みたいと思います。

 

兵庫県にておくりびと映画のごとく納棺指導した会社に入社。起業目的で入社決意。技術の取得のための就職。と実績作り、ある葬儀社から本部に電話あったそうです。

私がお客様から寸志請求しているとか。で問題になっているとか・・・疑いはすぐに晴れました。

これは、私が精一杯して毎回感動をお届けするので100%頂いていたので疑われたのですが都度葬儀担当者にこの寸志どうしたらいいですかと伺っていましたが、何故かそれが問題になっていたらしいです。

わたしはこう思っていました。頂戴して貰えるものではない。

 

 寸志に込められた感動

寸志のお話はそれだけ純粋にご家族の方が感動された気持ちでいただいたものです。

葬儀担当者さんはその確率が疑ったのかもしれませんが、封筒の中身も結構な額が入っていました。

最高額で5万円や3万円、1万円とざらにいただきました。

喜んで頂けることに感謝していたことを覚えています。

 

別の会社でも納棺師の方が凄いと遺族の方から直接言われたケースも多々あります。

だから自身はあります。

 

直接提供している私が当時勤めていた会社に報告していましたが、私の直属の支店長が相手の葬儀社の最高責任者と話をしたと思います。支店長から報告をいたただ来ました。

あなた凄いね。とてもいい仕事したねって笑顔で言われました。嬉しかった。

 

だから、私は家族葬という葬儀のサービスの中に特殊な納棺の儀にて最高のお別れを提供することを決意させて頂きました。

 

将来への展望

私は若い時から葬儀社に入社していたために、友人し遊ぶ約束しても結局会えないことが多いので自然に友人が消えたので、今ではこの仕事を通して多くの人々と関わり自分の人生を作っていこうとしています。

要するに心温かい仲間を増やしたいと願いって活動しています。