樺澤忠志の納棺師から葬儀社設立への情熱の旅:映画『おくりびと』に導かれて ? 弘前市の葬儀なら【とーたる・さぽーと0528】

  • HOME
  • お知らせ
  • 樺澤忠志の納棺師から葬儀社設立への情熱の旅:映画『おくりびと』に導かれて ? 弘前市の葬儀なら【とーたる・さぽーと0528】

なぜ、私が葬儀社を設立したのか?

 

父の急死で私の身近な人々が、亡くなったきっかけに少し意識するようになりました。父の健在の時、私は弘前公益社に勤めていましたが、自分で会社を設立し、葬儀業を行うことは考えたことがありませんでした。

 


父の急死と新たな始まり

その時はまたいつかやろうという考え方でしたが、私と姉との仲が急激に悪化し、実家を飛び出しました。車を売り、通帳にある資金を全て現金化し、兵庫県への移住の準備をこっそり進めました。これからは一人で兵庫県で生きていくことを決意しました。

 


映画『おくりびと』の影響と納棺師への道

そして、一年後、映画『おくりびと』を偶然目にしました。納棺の経験があったため、映画の納棺のシーンを見ても、実現不可能だと疑念がありました。しかし、それを証明するために映画のエンドロールを見て、関連会社を見つけ出し、面接に行き、入社が決まりました。

 


葬儀業界への飛び込みと最初の現場経験

入社後に知ったことですが、納棺会社では葬儀の経験がないことが入社条件だった様子でした。その点で私は非常に幸運だったと言われて嬉しかったことを覚えています。入社初日は、事務手続き関連の書類作成と説明が行われました。

 


故人への最後のお世話と成長

二日目の午前中は書類提出後、湯灌(ゆかん、故人を寝かせてシャワーを浴びせる作業)のサブサブの練習をしました。その後、午後から湯灌の現場に四人で参加しました。故人をシャワーで洗う作業は注意が必要で、故人の体温を上げてしまってはいけません。なぜなら、シャワーであたたかくすることなく、素早く洗浄しなければならないからです。お湯での洗浄だけでなく、工程があるため、手順を誤ると難しい作業と感じました。これが私の最初の現場経験でした。

 


支店長のサポートと共に歩んだ道

その後は故人に着せ替えを行う作業がありました。病院で着せていた浴衣を脱がせ、白い着物(経帷子)に着せ替えるのですが、これをスムーズに行えるように猛練習しました。現場終了後、夜遅くまで練習が続きました。そして、初めて仕事の成果が評価され、上司による指導が始まりました。

 


感動的な旅の結びつき

支店長と共に現場について修行を積む日々が続き、半年以上経った頃には、独り立ちができるようになりました。支店長の期待に応えるため、私は焦りましたが、絶対に諦めずに取り組みました。そして、徐々に期待に応える技術を身につけることができました。支店長のサポートがあったからこそ、私は成長できたことに感謝しています。これまでに納棺の仕事において、支店長と共に約300件の現場をさせていただきました。また、納棺の儀をさせて頂いたご家族の方にも感謝しかありません。ご家族様からの感謝も多くいただきました。

 

                                              ↑僕のばあちゃん↑