プロの納棺師の必要性

親類の訃報を聞き、私はすぐに田舎町に向かいました。親類の家に付き、丁度納棺の儀に立ち会うことが出来ました。田舎でしたので、主な葬儀業者は1社しかいなかったようで、そちらの職員の方が1人で納棺の儀を担当されていました。 その日は暑い日で、職員の方が汗だくになりながら親類に遺体に死装束を着せていました。あまりに汗だくなので思わず家族の方がハンカチを貸していました。この時点で私は「ハンカチも用意していないなんて非常識だな」と感じていました。また、死装束を着せる際も「(親類が着ている)パジャマの上から着せますか?それとも脱がして着せますか?」と質問をし、家族の方が「脱がして着せてあげて下さい」と言うと親類一同が揃っている前でシーツ等で遺体の裸体を隠さず着替えさせようとする始末でした。私の親類には看護師が多く、あまりの配慮のなさ・手際の悪さに皆不満を漏らしていました。 ここで普段、協会の事務局員として「アカデミー」や「エンディングコーチ」に携わっている私は「こういった地方にもプロの納棺師の文化が根付けば遺族にとっても良い納棺の儀が出来るのだろうな」と感じていました。 事務的な対応では満足のいくお別れは出来ない また、もう一つ、地方での葬儀において感じたことがあります。それはあまりに対応が事務的すぎるということです。納棺の儀を終えたあと、火葬と故人とのお別れの儀式が続きましたが、お坊さんの読経も至極事務的であっさりしたものでしたし、職員の方の段取りもどこか事務的で故人との生前の思い出で悲しい気持ちになる以上に怒りで悲しくなりました。 極めつけは火葬場です。ここではお坊さんにも火葬場の職員にも「さっさとしてくれ」といった冷たい対応をされ、火葬後の骨上げの際もこちらが悲しみにくれている間にさっさと骨を砕かれてしまい、遺族の気持ちを汲み取ってくれない姿勢に悲しくなりました。 こういったどこか事務的というか怠慢な態度を取られてしまう背景には田舎ならではの事情があるのではないかと思います。田舎では基本的に葬儀業者や火葬場が一つしかない場合があり、家族が亡くなってしまった際にはそこしか選択肢がないという状況が生まれてしまうと思います。そうなってしまうと職員も他社に客を取られる必要がなく、いつの間にか慢心してしまうのではないかと思います。 実際、葬儀を終えた後、私たち遺族に残った感情はどちらかというと後味の悪いものでした。もちろん、日本全国の田舎町がこういった状態ではないと思います。しかし、故人のためにも最期のお別れは気持ちよく天国に送ってあげたいと思うのが遺族の心情ではないでしょうか。そういった意味でも地方におけるプロの納棺師やきちんとした葬儀業者の必要性は高いのではないかと感じました。 省略 このたび、青森県にある親類の所に行くことになりまして、急いで掛けつくところ丁度納棺の儀が始まって間もないとろに帰ってきた様子でした。荷物を置き部屋の中に入ると大勢の人(隣人の人)が居て故人様を囲むような感じでした。入ると納棺師さんの方から私たち家族に挨拶してくださいました。座布団に座り、様子をじっと見ていました。腕からの注射後からの出血をしておりました。布団にもびっちょり浴衣も血で染まっておりました。納棺師さんはどうどうとして処置をするのです。処置前後の説明には注射痕からの出血です。すぐ止まりますので安心してください。人口皮膚を作り、出血の無いようにしました。と言い処置をしてくれました。処置が終わり、浴衣ですかね。脱がせて身体を拭いて、着せ替えをするのです。遺族の依頼で白の経帷子と着物を合わせて着せてました。 肌を見せることなくおこなうんです。男性の納棺師さんでとても手が柔らかく優しく感じました。この部屋の空気が全然違うんです。前回、私が体験した納棺の儀とは全く別物で思わず私も涙しました。説明も所作も全て素晴らしいものでした。できる限り皆さんにお顔を拭いていただくようにしたり、何も問題なく本当の故人様に対するお別れができたと感じました。棺に入った故人様の様子は元気だったころ、しわがなくなって10年前の顔つきになった。とみんな喜んでいました。化粧も自然な感じで違和感がなく、寝ているみたいだから故人様の友人の一人がおこそうとしてたんです。それほど、素晴らしい顔つきになったということだと後からわかりました。その後、斎場でもその話でもちっきり、みんな喜んで悔いのない葬儀を終えることができたと理解しております。 親類一同感謝感激しており、涙みなだの納棺でした。ありがとうございました。