納棺に関る由来・習俗

迦葉尊者が500人の弟子を連れ遠方に居た時、釈尊の病気の知らせを聞き
急いでクシナガラに向かった。その道中手にまんだら華を持つ旅人に出会った。
葬儀に、長く枝のついた一本花を持つ習慣があるので、釈尊の事を聞くと
既に一週間前に死亡し、その葬式に出てこの華を貰ってきたと語った。
日本にはまんだら華はないので、代わりに葬儀に一本樒を使う。
樒の実はインド原産で、鑑真和尚が日本にもたらしたと言われている。
□合掌□
左右の手を胸または顔の前で合わせ礼をする、神仏に祈ったり死者に
冥福を祈ったりするときの基本的な動作。
インドでは右手を神聖な手、左手を不浄の手として使い分け、その両手を合わせることは、
人間の神聖な面と不浄な面と合一し、人間の真実の姿を現すとしている。
■経帷子■
死者に着せる経の書かれた白い着物。背には南無阿弥陀仏などと書く。
経帷子は数人で分担して縫い、縫い糸は止め結びをしなくていいとされる。
□沙羅双樹・紙華花□
釈尊は多くの修行僧と共に、クシナガラに向かって進んだ。
クシナガラの入り口にバツダイ河があり、その辺りまで辿り着いたが一歩も
動けなくなってしまった。バツダイ河の東側の堤一帯は、沙羅双樹の林となっており、
釈尊はこの林の中で休みたいと言われた。阿難は沙羅双樹の林の中に石の台を見つけたので、
ここに釈尊に休んで頂いた。
そのとき沙羅双樹が一面に花開き、空からは白檀の花が降り注いだ。
釈尊の涅槃の模様を描いた図では、横になっている釈尊の四方を大きな樹木が、4本あるいは
8本描かれている。これが沙羅双樹であり、根本が1本で途中から2本に分かれて描かれている。
日本の葬儀には、この紙華花を用いる習慣が全国で見られるが、これは釈尊が
沙羅双樹の木に囲まれて亡くなられたことから象徴として使われる。
白い華にするのは、釈尊が横になったとき、沙羅双樹が
白い花を咲かせて供養したことに由来している。
ただし日本では、土葬のときに埋葬した土地に四隅これを置くことがあったため、
魔除けなどの呪術的な用い方をしたとも考えられる。
■三途の川■
人が死んであの世に行く途中、初七日に渡るという川。
葬頭河(しょうずか)、三つ瀬川ともいう。人が死ねばこの河を越さなければならないが、
河の瀬に緩急の異なる三途があり、生前の行いの軽重により三途のうちの一つを渡るという。
□頭陀袋□
経巻・仏具・布施などを入れる行脚する僧の持つ袋。
死者にこれを持たせるのは、仏道修行の旅立ちに見立てたもの。
■頭北面西■
人が亡くなると、頭を北向きにして寝かせるという習慣がある、
これは釈尊が入滅したとき頭を北に向けて休まれたということに基づいている。
沙羅双樹の林の中で、釈尊は頭を北、足を南、右脇を下、顔を西に向けて休まれた。
これを頭北面西と言い、右脇を下にする寝方を獅子臥の法と言う。

死者を火葬に付した後、竹や木の箸で拾骨する方法。(渡し箸)
骨を二人で挟み、骨壷の中に骨を入れる。
「箸」が「橋」に通じるため、亡き人をこの世からあの世へ、橋渡しをするという意味が
こめられているとされる。
□枕飾り□
枕飾りのローソクの光りは仏の光明を意味し、線香の煙は仏の食べ物を意味していおり、
灯りは死者が迷わないように道を照らすという意味があると言われる。
「一本花」
用いる樒は、神の意志の先触れをするとされる木で、その実が毒のため、
「あしき実」からシキミと呼ばれるようになったと言われ、非常に生命力の強い木で
魔除けにもなるもので昔から墓などにも植えらた。
「一膳飯」
人は亡くなると、故人が日常使っていた茶碗にご飯を盛り、中央に箸を立てて枕飾りとして
死者の枕元に供える。まんじゅうのように、こんもりと盛って箸をたてた姿が、円墳の墓標を
立てた形になるところや、不幸を他に及ぼさないという説もあるとされる。
「枕団子」
釈迦が入滅したときに無辺身菩薩が香飯を捧げた故事に基づいており、
また地域によっては死んでから善光寺に行くための弁当という信仰がある。
枕団子の数は六個が多く、これは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を巡る象徴で、
六文銭を死者が身につけていくのも同じ考えの現れと言われてる。
「守り刀」
邪霊を払うため、また武士が死んだ時枕元に刀を置いた名残や、魔物の使いとされていた猫が
光り物を嫌がるので刀を置くことなど、遺体を守る為に置かれるとされる。
■仏壇■
仏像や祖先の位牌を安置する家庭用の厨子。本尊や掛け軸、位牌を安置する。
仏壇の種類は、塗り仏壇と唐木仏壇があり、箪笥や押入れなどの台の上に置く上置型と
台があり床の上に置く台付型がる。
□冥土□
死者が行く迷いの世界。
あるいはそこまでの道程を意味し、生前この世において仏道修行を怠ったものが、死後
さ迷いゆく世界。この迷いの世界は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道で、
暗く、苦しい世界といわれ冥土とされた。
道教の冥府信仰の影響もあるとされる。

□末期の水□
臨終を迎えた人に末期の水を捧げる習慣が現在にも残されている。
この末期の水を捧げる行為は、釈尊の臨終に阿難尊者が水を差し上げたことに基づいている。
釈尊は旅の途中、食事にあたって苦しんでいた。
滞在していたパーヴァーという町は小部落で医者も居ないため、長い道のりではあるが
医者のいるクシナガラまで帰ることになった。その途中、小さな川の辺りで休憩を取られた。
釈尊は喉が渇いて仕方ないので、同行の弟子の阿難に川の水を汲んで飲ませてほしいと頼んだ。
しかし、近くの川は水が濁っていたので、遠くの川に汲みに行くことを提案した。
しかし釈尊は近くの川で汲むことを願った。
釈尊に従ってもう一度出かけてみると、既に川は奇麗になっていた。
阿難尊者は器になみなみと水を汲んで釈尊に差し上げた。
この水が釈尊の最後の飲み物であった。
■湯灌の起源■
遺体を納める前に香水で洗浴する。
これが仏葬における湯灌の起源である。遺体を洗う行事は原始仏教時代から行われたと言われる。
経典の中に次のような記録がある。
仏教を奉ずる僧侶が葬式から帰ったが、体を洗わない。
俗人がそれを見て、「釈尊の弟子は浄潔を尊ぶと言うが、決して清浄ではない。
葬式に列し、遺体に近付いたにも拘わらず、体を洗わないのがその証拠である。」と非難した。
釈尊はそれを聞いて、「体を清めないことはよくない。遺体に近付いた者は洗浴せよ。」
と言って、弟子たちに体を洗わせた。
釈尊は、「遺体に触れた者は身体も洗い衣服も共に洗え、遺体に触れた者なかったものは
手と足を洗えばよろしい。」と言った。
インドでも遺体を不浄と考える風習があったようで、インドの古代の法律である『マヌの法典』に、
「遺体に触れた者は10日後に清められる。その死せる師のために葬儀を行う学生もまた
10日後に清められる。火葬場に死体を運ぶものも同様なり。」とある。
また、人間が生まれたときの産湯と同じように、生まれ変わりのための産湯
または、準備の為とも言われている。
■六文銭■
これらの副葬品は、「あの世でお金に困らないように」や「三途の川の渡し賃」などの理由に
よって死者と共に埋葬や火葬などされるものである。
日本では、三途川の渡河料金として六文が冥銭とされることが多い(六文銭、六道銭)。
過去には通貨を直接使用していたが、「文という貨幣単位がなくなった」
「通貨を意図的に破損すると罰せられる」
「火葬における副葬品制限で炉内に金属を入れることが禁じられるようになった」
こういった思想は、などの理由から、近年では六文銭を模して印刷した紙のものが使用される。
死者は遺族によって用意してもらった紙製の冥銭を米や塩と共に小さな布製の袋に入れたもの
を懐に入れた状態で、棺に収められる。
貨幣経済の発達に伴い、霊界のように死後に行くと考えられている別の世界でも貨幣が必要
だという価値観念に伴うもので、日本における仏教では、現世と死後の世界の境界にあると
される三途の川の渡し賃が最後に金銭を使う場であり、それ以降には必要ないとされている。
これは現世である俗世界から、仏(欲望や煩悩の無い存在)になる死後世界へと
移行する通過儀礼的な意味合いを含むものだと考えられよう。
□六道輪廻□
仏教の世界観で、すべての人が死ねばその生前の行いに従い、迷いの世界に車輪のように
果てしなくめぐりさ迷うこと。
六道は下から、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上をいい、日本では死後の世界を
六道とするところから、墓地を六道原という場所がある。